ハッチ4段-を完登。10年に渡る挑戦でようやく訪れたその瞬間 村口
ハッチ 10年越しの完登
遂に登れました!「ハッチ 4段−」。永遠に登れないとも思われた課題を打ち込みの果てに完登に至る事が出来ました。登れた時は心からの安堵感と携わってくれた方への感謝が自然と出て来た事を覚えています。何日で登れたとかを数えるのも億劫に成る程、昔からトライし憧れていた課題。途方もないチャレンジを始めたのはおよそ10年前からだったと記憶しています。
10年前というと25歳。クライミングを始めて約3年。ハッチの後半パートであるスズメバチ(2段)。すぐ側にあるシンバル(3段)、シンバ(3段)。武庫川の冷酷(4段-)。と割と順調に強くなっていた自分にも自信があり、スズメバチのSD課題でもあるハッチを直ぐにトライし始めました。そこでこの自信は脆くも崩れ去ります…。
途方もない課題との距離
先ず初っ端の1手目。強烈なキョンからフルリーチロック。さらに悪いガストンのおまけ付きです。辛うじて指は届くものの、しっかり保持出来ない。保持したとしても肩が爆発しそうでした。取れたとして次の2手目、こちらは足の踏み替えが困難で出来ず。さらに取れたとしての繰り返しで進むも、ほぼ全ムーブが出来ない状態でした。とても登れそうにないと思い、この課題から逃げるようにトライしなくなった事を覚えています。
当時、岩場によく連れて行ってくれた方で今でも憧れの方がハッチを打ち込んでいました。 何度か惜しいトライを繰り返し、完登を逃し続けていましたが、とうとう登る事が出来たと聞き、素直に驚きと喜び、そしてさらに憧れが強くなりました。その人自身になのか、あの課題を登れた事になのか、それとも。挑戦し続けた姿勢に対してなのかは今でもわかりません。兎に角、無性にハッチがやりたくなりました。
2度目の挫折
それから数年というものフクベに行く度にトライを重ねていましたが、小さな進歩はあるものの、とても繋がるような気配はありません。単品のムーブも1手目以外はなんとか出来る程度。ホントにこの課題が登れるのか不安になりやめようかとも思いました。自分には向いてないんだと。一旦ヤル気になっても直ぐに変わってしまうのが人間。リーチやらなんやらを言い訳にしてまたこの課題から遠ざかりました。
そして月日が経ち、現在の職場であるグッぼるで働く事に。そこで店長やオーナーに出会い、色んな事を経験させて貰って、仕事、クライミング能力共にしっかりした地盤を固めていけたと思っています。グッぼるスタッフの若手、土谷君、亀ちゃん、サポートの日比野君。若い彼らですが、その意識の高さから学ぶ事も非常に多く、先輩として不甲斐ない所は見せられない気持ちにもなりました。そして日比野君と岩場へ通う中ハッチをやらないかという話になりました。
自己効力感を持って挑む
そして9月頃からよく2人でハッチをトライする事に。5段を数本登っている日比野君でさえかなり苦戦しており、4段でも難しい課題なのはやはり間違い無さそう。しかし、この10年で培ってきたモノを信じ、自分なら出来ると思い込みました。実際厳しかったホールドは持てるようになり、クライミングスキル向上によるムーブの洗練度はパワーに任せてた若い時とは比べるまでも無い程成長していました。そして2人で全ムーブを完成させる事が出来繋げトライに。
しかしここからが長かった。もうこの課題で出来ないパートはないにも関わらず、繋げてくるとスズメバチで落ちてしまう。そんな日々が7日以上…。どんなに完璧にムーブが出来てもヨレてしまい最後のリップ取りが出来ない日々が続きました。そんな中、日比野君はしっかり完登。自力の差があるとはいえ、決定力は流石の一言。この完登は折れかけていた心再び課題に向かわせてくれました。
遂に訪れたその瞬間
そしてもう何日トライしたかも忘れた頃、今日こそと臨んだある日昔のクライミング仲間にハッチの岩の前で出会いました。彼もハッチをトライしておりムーブは完成しているとの事。そんな彼と喋ったいると自然と若い頃を思い出しました。そしてお互いあれから随分、年齢は重ねたけどクライミングを続けている事が嬉しいと感じました。そんな穏やかな空気の中、彼に細かいムーブのアドバイスをもらい、自分なりの形に修正したトライで遂に完登。登れた時は驚く程スムーズに、焦っていた気持ちもなく自然に岩の上に立つ事が出来ました。本当にあの日、たまたまその人に出会ったお陰だと思います。またその人だけでなく、この課題を登る上で非常に多くの人に励まされました。本当にありがとうござました!また次の目標を目指して頑張ろうと思います。